1995年より、おもちゃデザイナー若林孝典氏を
中心に、福祉施設を母体に活動。
2017年、野村茂樹氏と共に合同会社として独立。
「幸せになる」要素としてのおもちゃを
日々作り続けています。

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INTERVIEW

若林孝典 Takanori Wakabayashi
― 工房名の由来を教えてください。
チェシャーズ·ファクトリーの母体は、兵庫県宍粟市にある障がい者の福祉施設です。イギリスにある「チェシャーホーム」という施設(イギリスのレオナルド·チェシャー卿が開設した、ハンディキャップを持つ人たちの暮らしの場)の精神に共鳴して日本に作られた施設であるため、その名前も受け継いでいます。その精神は「誰でも同じですよ」というもの。誰もが同じように幸せを享受する暮らしを守っていく場所であるということです。

※詳しくは、しそう自立の家のHPをご覧ください。
http://www2.memenet.or.jp/shiso/
― 障害者施設の中の木工作業所として、どのようなものを作っていたのでしょうか。
毎日5~6名で、おもちゃだけでなく、子ども用の家具や幼稚園保育園向きの什器類なども作っていました。
― 兵庫県の宍粟市の風土的な特徴はありますでしょうか?
この辺りはもともと林業が盛んなところで、40年ぐらい前までは切り出した木を運ぶためのトロッコ列車が走っていました。また、宍粟市の「市の木」はブナです。チェシャーズ·ファクトリーの周囲の山の中には、元々ブナの原生林がありました。残念ながら30年ほど前にほとんど伐採してしまって、今は残っていません。他には、ケヤキやトチの木などの巨木が残っていたりするような自然豊かな土地です。やはりこういった原生林があり、トロッコ列車が走るほど林業が盛んだという土地で、木製のおもちゃが育まれていくというのは自然の流れですね。
― 若林さんが、障がい者のものづくりに携わることになったきっかけは何でしょうか。
25年ほど前になるのですが、しそう自立の家の理事長が僕の古い知り合いで、勤めを辞めて木製おもちゃを作り始めたいう話をたまたましていました。施設ができる時に「ちょっと手伝いにきてくれ」と言われたのが始まりです。軽いお手伝いのつもりがここまで継続しています。
― おもちゃ職人として、相当なキャリアをお持ちですが、若林さん自身のおもちゃ作りの出発点はどのようなものだったのでしょうか?
自分の子どもに作ってあげたというのが始まりなんです。その時は子どもが大層喜んでくれました。子どもの喜ぶ姿が嬉しくて、次から次へと作りたくなり、どのおもちゃも喜んでくれました。ここから、僕の大いなる勘違いが始まるんですよ。(笑)子どもはこれで喜ぶんだという…。さらに、モノづくり自体がとても面白くなってしまい、すぐ勤めを辞めてこの世界に飛び込んでしまいました。
― ご家族のご理解は得られたのでしょうか。
勤め人やってた頃は家にほとんどいなかったものですから、家にいてくれるような仕事に就くということで、家族も賛成してくれました。
― おもちゃを作る上でのポイントや、外せないこだわりというのはありますか?
まず一つは、子どもの遊びとか楽しみとは一体なんだろうというのを考えます。その、子どもにとっての「遊び」「楽しみ」というものは、もしかすると大人にも同じことが言えるのではないかと思います。例えば電話のおもちゃ(KItoTEto#07 コール)を例にとると、小さな子どもにとっては親の模倣から始まり、それが自分だけの一人遊びになったり、具体的に相手がいるシチュエーションでの遊びになったりします。子どもの中では、おもちゃそのものが面白いというよりも、そういうおもちゃを介して誰かと関わるということ自体が大切だったり、自分の気持ちを出すためのAID(=助けとなるもの)としておもちゃが存在すると思っています。
もう一つは、あってもなくてもあまり意味がないなあ…というようなものが、僕個人の中では面白いおもちゃではないかと思っています。例えば、何か回すだけとか、叩くだけとか。それによって頭が良くなるわけでもなく、精神が鍛えられるわけでもない。だけど、何かやみつきになるものというのが人間の本能を刺激するのではないかと思います。いわゆる人間が持つ本来の感覚。例えば、学問的な原理原則を理解するために必要な要素とかではなくて、人の中にあるプリミティブな感覚に、何か訴えかけるようなおもちゃを作るようにしています。
人間の生きる力の根本といいますか、理屈じゃなく、感じ取れる力みたいなものを育めるようなおもちゃ作りといえるかもしれません。「感覚」という言葉を説明しようとすると妙に理屈っぽくなってしまいますが、そういう難しいことではなく、予備知識もなくそれを触ってみたら「あれ?」と思ったりとか、何かそういう意味での「感覚」というのが、おもちゃには本来含まれていると思っています。
― あなたにとっておもちゃとは何ですか?
まずは、日本中の子どもたちを笑顔にできる存在であると思います。「何かの役に立つためのもの」ではなく「幸せになる一つの要素」をおもちゃが持っているからだと思っています。次に、おもちゃは人の心を修復することもできるような力を持っています。大人も子供も含めて、心を健全にしていく力を持っているんではないかなと思っています。
野村茂樹 Shigeki Nomura
― チェシャーズ·ファクトリーはどのくらいの歴史があるでしょうか?
現在の合同会社として登記したのは今年の6月でまだ4か月(2017年10月時点)ですが、その前は障害者施設の木工部門として、20年ほどおもちゃを中心とした木製品の生産をしていました。私はその木工部門の職員をしていました。
施設の方針として、現在の制度の枠組みの中でこのまま木工部門を維持していくのは難しいということになり、思い切って若林さんと私で独立して、活動を引き継ぐことにしました。いずれは障がいを持った方々と、もう一度一緒におもちゃ作りをしたいという夢を抱きながら、現在に至っています。
― 障害者施設の利用者さん達と、ここでどのようなものを作られていたのでしょうか。
木工部門の非常勤講師としてクラフト作家の若林さんに技術指導者として入ってもらい、若林さんデザインのおもちゃをみんなで作っていました。おかげさまで、今でもいくつもの木製玩具販売店との取引が継続しています。
― おもちゃ作りについて、心がけていることはありますか?
20年前も今も基本的には同じように作っています。おもちゃは、子どもたちの生活の中に当たり前にあるものですから、いつも心がけているのは、何においても安全性です。おもちゃによって危険な目に遭ったり、怪我をしたりとか、絶対にそれだけはないように、気を配っています。
― お二人のチェシャーズ·ファクトリーでの役割は?
デザインは若林さん、製作は私です。技術的な部分のアドバイスも、もらいながらやっています。
― 今後の新しい展開はお考えでしょうか?
基本的にはこれまでの姿勢の継続ということになるのですが、末長く使っていただけるものを作り続けていきたいです。10年20年前に出荷したおもちゃについて「修理してもらえないでしょうか」というご連絡は、ものすごく嬉しいものです。安全性に配慮しながら、生活に根付いて10年でも20年でも、孫の代まで、愛されて使い続けていただけるようなおもちゃを作っていければと考えています。
― あなたにとっておもちゃとは何ですか?
おもちゃも大事ですが、その前に、子どもも含めた人々の暮らしが一番大事だと思います。その暮らしの中に溶け込んで、人々の暮らしの質の向上と言えば大げさですけれども、より潤いがあって豊かな生活にしていくお手伝いができる、そういったものがおもちゃだと考えています。

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